かえってきた。かえってきてしまった。
先日偶然友人とテニプリキャラソンの話題になり、ちょうど長距離で車を走らせる機会もあったので久々にキャラソンのデータを引っ張り出してきた。
ランダム再生による初っ端のバレキスに戸惑ったり、単調な運転に疲れた頃に都合よく入る叫び声に気を引き締めたり、推しの声にニコニコしてしまったりと私用で一人であったにも関わらず楽しいドライブとなった。
テニプリとの出会いは中学1年生、ちょうどリョーマと同い年の時だった。
中学で知り合った上記の友人に勧められ、私は初めてテニプリを読んだ。
ちなみにBLEACHは表紙買いして単行本で読んでいたが、実はジャンプ本誌に触れたのもこの時が初めてだった。
この時原作がどこまで進んでいたかは覚えていないが、私が中学生のうちに白石戦を本誌で読んだ記憶があるので中盤以降だったのではないかと思う。
当時何となく食わず嫌いで読んでいなかったテニプリ。彼女が勧めてくれなかったら今ごろテニプリは履修してなかったかも知れない、とも思うが、後に当時同じく食わず嫌いをしていた友人がいつの間にかがっつりテニプリオタクになっていたこともあったので、きっとテニプリは必ず誰しもがどこかで触れる人生の必修なんだろう。
その後私は夢小説というものも教えてもらい、もともと創作が好きだった私は読むだけに飽き足らず自分でサイトを立ち上げ夢小説を執筆し、そうして培ってきた妄想が公式で現実にできるゲームがあるとまた勧められ、当時PS2を持っていなかった私は朝まで友人の家に泊まり込んで一緒に彼らとの恋愛を楽しんだ。立派な夢女子の完成である。
ちなみにこれら全てはもちろん私をテニプリと出会わせてくれた友人によるもので、彼女は私の人生の師範であると思っている。結構マジで。
こうして書いてみると私の中学時代、意味はまるっきり違ってくるが、彼らのようにテニスに捧げた青春であった。
間違いなく、紛れもなく、テニプリは私の青春で、初恋だった。
そして時は流れ、私もいつしか大人になり、青春なんて忘れて世の中に揉まれる日々だった。
夢小説サイトの更新は10代を最後に途切れていた。最後に買ったモアプリもいつのまにか触らなくなった。新テニは5巻ほど買ったような気もするが、こんなふうに曖昧なまま内容もあまり覚えていない。
でも私は、もう疲れてしまっていた。大人でいることに。
いや、疲れさえも感じていなかった。大人ってこういうものだと、人生ってこういうものだと、死んだ心で当然のように受け入れて生きていた。
そんなふうに青春なんてすっかり忘れていた私だったが、これまた師範のおかげで(本当彼女には頭が上がらないと改めて感じる)偶然テニプリキャラソンを聴く機会を得た。
ちなみにアトラクションサイトで確認したところ、私が所持している中での最新曲はおそらく業火絢爛だった。
2011年頃までは何となく話題は聞いたことはあるかも、な曲目も見かけたがそれ以降のものはさっぱりわからない。
しかし調べに行っただけで「こんなの出てるの!聴きたいんだけど!えっジャケ写かっこいい!!」と興奮のあまり胸がいっぱいになってしまった。ブランクを埋めるのも楽しみで仕方ない。
私が聴いていたのは少し古い曲ばかりだが、キャラソンとは思えないくらい曲のクオリティが高いこともテニプリの魅力だろう。
ああ好きだった好きだった、相変わらずかっこいい歌だな、と懐かしみながら彼らの歌声と小芝居を聴くという充実した時間を過ごしていた。
何曲もランダム再生されていった後、ついにある曲がオーディオから流れ出した。
平古場凛の“I☆FEEL☆FREE”。
THE沖縄という感じの陽気なイントロと、これまた陽気な平古場凛の歌声。陽射しの強い日に大きめの音で聴くと最高に気持ちのいい曲である。
私にとって平古場凛というのは比較的好きなキャラではあるが最推しというわけではないし、この曲が流れる前にも同じくらい好きなキャラやそれ以上のキャラの曲は流れていた。
なのに何故か、この曲を歌う平古場凛が無性に愛くるしくて、曲がサビに達する頃には私の中で愛おしさと愛くるしさがカンストしていた。
何なら今もこれを書きながら脳内で曲を再生しているだけで愛くるしさに悶えそうになる。ぎゃんかわいいいい、なにこれえ…愛しすぎて吐きそう…。
ちなみにミュの平古場凛は最高に可愛かった。ヤスカ最高に可愛かった。後に色々アレでアレしてたけど。あとよっちんの声も好き。愛おしいね。
そしてこの愛おしさを思い出した。私にとってテニプリは青春で、恋だったということを。
私はもう一度彼らに恋をしたい。帰ったらモアプリやろう。
そう決意して帰路を急ぐことになった。
帰宅は日付を越えてからになるかと思っていたが、存外早く着いたので早速DSを持ち出してモアプリを起動した。
平古場凛がきっかけであったにも関わらず、残念なことにドキサバ/ぎゅっサバを所持していなかったので今回は比嘉中は我慢せざるを得ない。
個人的にテニプリが凄いと思うところは、こういったキャラ攻略ゲームの時に興味のないキャラがいないことだ。
だから毎回ゲームを始める前にものすごく時間がかかる。元から優柔不断の癖に、同時攻略はできないタチで最初にしっかり決めておきたい私の性格のせいでもある。
しかしこの時ばかりは、今思えば驚くくらい早い決断を下していた。
やはりここは最推しでいくかそれとも、くらいは悩みはしたが、無意識に疲れ切っていた私が選んだのはサエさんだった。
まだ未攻略だったというのもあるが、普通にカッコよくて、普通に頼りになって、普通に幸せになれそうな、普通の優しさを求めた結果だろう。
サエさんルートの感想はまたの機会に語るとして、モアプリの設定、ストーリーは今の私には響きすぎた。
私が疲れていた原因というのも、そもそも私にはやらなければならないことも考えなければいけないことも多すぎた。
仕事もプライベートも予定が詰まりすぎて、何か忘れてしまった際には私だけが怒られるけど、遂行したとて褒められるわけではない。できて当然なのだ。社会人って、大人って、そういうものなのだろうけど。
さらには好きな人に好きになってもらう術もわからず、誰かに褒めて欲しくて、認めて欲しくて、好きな人に振り向いて欲しくてずっと走り続けていた私にとって、モアプリのストーリー全てが私が現実で望み続けたものだった。
実行委員として走り回り、ミスはお互いフォローしあい、成功を収めた際にはお互いの努力を認め合い、好きな人は私を見てくれている。そんな優しい世界がここに存在してしまった。
このゲームの主人公は仕事ができて頭も切れて顔も可愛くて、そりゃ誰だって好きになるだろう、なんて思える子だから、私なんかとは全然違う。賞賛を受けるのは当たり前ではあるのだけど。
それでも現実の私だってそれなりに努力してきた。最初から褒めて欲しかったわけじゃなくて、報われたかったわけじゃなくて、私は私の人生のために必死にやってきたけど、落ち着くことなく張り詰め続けた私の心は折れてしまった。
だからようやく、ここなんだ、と思ってしまった。
ここでなら私は、非現実であることを確かに受け入れながらも、私が求めていた温かさを受け取ることができる。
現実もまだ頑張って生きるから、この世知辛い世の中で、少しだけ安寧の地が欲しいだけ。
大好きだったテニプリから、2次元から離れて片手では足りないほどの年が経っていた。
けれど、一人で頑張ってきた私を、これからも一人で頑張るために、認めて、甘やかして、癒してくれる場所に、ようやく私はかえってくることができた気がする。
ここで休んで、明日からも頑張っていこうね。
私は再び心地良いこの沼に沈み込むことを決めた。