誰かの為に生きたかった。
先日、私は自分の人生でさえも主役になれないんだな、と思う出来事があった。
それ自体は凄く些細なことで、気分が滅入っていたせいでもあるのだろうけど、ただ今までぼんやりと思っていたことがはっきりと浮き彫りになった瞬間だった。
昔から、そして今も、私の周りには魅力のある人物が多い。
絵が上手でそれを職業とした人。
気立てが良くて幸せな家庭を築いている人。
音楽をやり続けデビューした人。
人の気持ちに敏感でよく気がつく人。
お金持ちになりたくて経営者になった人。
綺麗な顔立ちを生かし芸能活動をしている人。
挙げればきりがないほど、私の周りには内外問わず魅力がある人ばかりだった。
もちろんそれは一朝一夕で達成したものではなく、全て本人の努力によるものなのは間違いない。
ただ、そんな素晴らしい人たちの中で、私は一体何ができているのだろう、とふと考える。
自分の長所を考えると、私には何も浮かばない。
駄目なところならたくさん思いつく。
これといった特技もなく、人付き合いも苦手で、常識が欠落していて、だらしなくて、見た目も平凡で、人の気持ちに鈍感で、流されやすい。
短所は長所だともいうが、私の短所はどう上手に言い換えたって長所に変わりそうもない。
どうしてこんなに魅力がないのかというと、きっと私が空っぽだからだろう。
何も上手くできない。人に迷惑しかかけてない。
「どうしてそんなふうなの」って、何度も言われた。
どうしてちゃんとできないのか、私にもわからない。
一つ一つの行動に考えが及ばない。だからすぐに間違える。人に迷惑をかける。
気を付けたいのに、考えることが下手すぎて、考えるべきところを知らなくて、気持ちだけはあるのにまた間違える。
私の家族、友人のことは信じていたいけど、私といたいと思ってくれているからいてくれるのだろうと信じていたいけど、じゃあ私はその人たちに何を返せているのか。
思えば私は色んな人に迷惑ばかりかけてきた。今もかけ続けている。
気を悪くされたことは一度や二度ではないだろう。怒られたことも一度や二度ではない。
こんな私と今でも付き合いを続けてくれている人たちには頭が上がらない。
途中で去って行った人たちもたくさんいた。というよりも、それが大半だった。
私は人が恋しい。傷つくのも傷つけるのも怖くて一人でいたいのに、一人は寂しい。
この歳になるまで色々な人と出会った。根気よく私と付き合ってくれている人は何とか片手では足りないほどの人数となった。両手だと少し余ってしまうが。
こんな私でも大切に思ってくれているであろう人たちのためにも、私は私を認めたい。
でも私はまだそれをできそうにない。私自身を否定することはその人たちに失礼だとわかっていても、私は私でいいんだよ、頑張れているよ、と言ってあげられない。
努力が足りなかったんだろうな、と思う。私の周りにいる人たちみたいに、きちんと全うに努力することができなかった。考える力も伝える力も養えなかった。
それらを怠ってきたのは私の責任で、今私に何も残らなかったのは自業自得であると思う。
これから先の人生、私はこの両手を埋める自信がない。まだまだ色々な人と出会うだろうし、今出会ったばかりの人でもできればこの両手に収めたいと思っている人がいる。
でも私には、無理かもしれない。
私なりに大事な人たちを大事にしていた。でもあくまでそれは私基準の"大事"なだけで、世間一般からすれば全く大事にできていなかったんだろうと思う。
私のこの薄っぺらい"大事"で誰が喜んでくれるのか。きっと私の気持ちは届かずに埋もれてしまう。
冒頭で触れたとても些細な、でも私に現実を自覚させた出来事はまさにそういうことなんだろうな、と思った。
きちんと大事にできた人だけが貰えるものもある。ただそれだけの当たり前のことだ。
私なりの"大事"では世間に認めてもらえなかったという、ただそれだけのこと。
きっとこれの元となった出来事はこんなに大袈裟な話ではない。でも私はその時確かに気付いてしまった。
まともに大事に扱えないのにレスポンスだけもらおうだなんて、大事にしてもらおうだなんておこがましい話なのだ。
私は誰にとってもただの他人でしかない。漠然と、でも痛感してしまった。
ふと元彼のことまで思い出してしまった。
彼は私のことを彼なりに大事にしていてくれたけど、彼の"大事"は世間には、私には通用しなかった。
それが彼の"大事"であることは重々承知した上で、だけどこういうやり方では私の"大事"を返すことはできないな、と思った。
それがいざ世間に目を向けてみると、私の"大事"でさえも間違っていた。
いや、間違っていたとまでは思いたくはない。ただ、あまりにも浅かった。
何かを大事にするということは、考えることも、やることもたくさんあるのだ。私はそこまで至ることができていなかった。
結局私は自分自身の魅力もない上に、誰かをきちんと大事にすることもできない。
魅力はなくて、返してもらえるものもない。
そんな私が主人公になれるはずもなかったのだ。
自分を思うことも、誰かを思うことも満足にできない私の存在価値なんてどれほどちっぽけなものか。
本当は、特別になりたかった。私はかけがえのない一人で、私にとっても、誰かにとっても特別になりたかった。
いや、本当はそうなれているはずなのだ。だから私と一緒にいてくれる人たちがいる。
だけど私には自信がない。誰かにとってかけがえのない一人でいることに、心がついていけない。信じきることができない。
だってこんなに何も出来ないのに。何の魅力もないのに。
いつか見限られるんじゃないかと、本当はいつも怯えている。
何か間違いを犯すたびに心が冷える。未だに間違いを犯してばかりの自分が、そもそもどうかとも思う。
何かを断ることも凄く怖い。それを受けることが唯一の私の価値のような気がしてしまうからだ。
今まさに代理出勤を断るラインを打ちながらこれを書いている。
吐きそうになりながら、断りきれず結局出勤を増やしてしまった。
さらに私の自信を潰したこの仕事についてもまた吐き出したいと思う。
とにかく私はこれ以上間違えないように、気を悪くされないように、ひたすら周りを伺い続けていくことしかできない。
そうしてでさえも、やらかしてしまうことがあるのだから。
何一ついいところを見つけられない私だから、そんなどうしようもない自分が少しでも露呈しないように生きていくしかない。
私は私の人生でさえモブなのだ。
輝く誰かに憧れていながら、陰で自分を出さずに生きていくような人生しか送れそうもない。
自分を認めて、誰かに認めてもらえる日は来るのだろうか。
いや、きっと私の場合、誰かに認められることによってようやく自分を認められるような気がする。
認めてもらえることが自信になる。でも自信がないから認めてもらえない。
この堂々巡りの終着点はどこにあるのだろう。
寂しくて仕方がない。
現実なんて直視するものではないな、と改めて思った。
かえってきた。かえってきてしまった。
先日偶然友人とテニプリキャラソンの話題になり、ちょうど長距離で車を走らせる機会もあったので久々にキャラソンのデータを引っ張り出してきた。
ランダム再生による初っ端のバレキスに戸惑ったり、単調な運転に疲れた頃に都合よく入る叫び声に気を引き締めたり、推しの声にニコニコしてしまったりと私用で一人であったにも関わらず楽しいドライブとなった。
テニプリとの出会いは中学1年生、ちょうどリョーマと同い年の時だった。
中学で知り合った上記の友人に勧められ、私は初めてテニプリを読んだ。
ちなみにBLEACHは表紙買いして単行本で読んでいたが、実はジャンプ本誌に触れたのもこの時が初めてだった。
この時原作がどこまで進んでいたかは覚えていないが、私が中学生のうちに白石戦を本誌で読んだ記憶があるので中盤以降だったのではないかと思う。
当時何となく食わず嫌いで読んでいなかったテニプリ。彼女が勧めてくれなかったら今ごろテニプリは履修してなかったかも知れない、とも思うが、後に当時同じく食わず嫌いをしていた友人がいつの間にかがっつりテニプリオタクになっていたこともあったので、きっとテニプリは必ず誰しもがどこかで触れる人生の必修なんだろう。
その後私は夢小説というものも教えてもらい、もともと創作が好きだった私は読むだけに飽き足らず自分でサイトを立ち上げ夢小説を執筆し、そうして培ってきた妄想が公式で現実にできるゲームがあるとまた勧められ、当時PS2を持っていなかった私は朝まで友人の家に泊まり込んで一緒に彼らとの恋愛を楽しんだ。立派な夢女子の完成である。
ちなみにこれら全てはもちろん私をテニプリと出会わせてくれた友人によるもので、彼女は私の人生の師範であると思っている。結構マジで。
こうして書いてみると私の中学時代、意味はまるっきり違ってくるが、彼らのようにテニスに捧げた青春であった。
間違いなく、紛れもなく、テニプリは私の青春で、初恋だった。
そして時は流れ、私もいつしか大人になり、青春なんて忘れて世の中に揉まれる日々だった。
夢小説サイトの更新は10代を最後に途切れていた。最後に買ったモアプリもいつのまにか触らなくなった。新テニは5巻ほど買ったような気もするが、こんなふうに曖昧なまま内容もあまり覚えていない。
でも私は、もう疲れてしまっていた。大人でいることに。
いや、疲れさえも感じていなかった。大人ってこういうものだと、人生ってこういうものだと、死んだ心で当然のように受け入れて生きていた。
そんなふうに青春なんてすっかり忘れていた私だったが、これまた師範のおかげで(本当彼女には頭が上がらないと改めて感じる)偶然テニプリキャラソンを聴く機会を得た。
ちなみにアトラクションサイトで確認したところ、私が所持している中での最新曲はおそらく業火絢爛だった。
2011年頃までは何となく話題は聞いたことはあるかも、な曲目も見かけたがそれ以降のものはさっぱりわからない。
しかし調べに行っただけで「こんなの出てるの!聴きたいんだけど!えっジャケ写かっこいい!!」と興奮のあまり胸がいっぱいになってしまった。ブランクを埋めるのも楽しみで仕方ない。
私が聴いていたのは少し古い曲ばかりだが、キャラソンとは思えないくらい曲のクオリティが高いこともテニプリの魅力だろう。
ああ好きだった好きだった、相変わらずかっこいい歌だな、と懐かしみながら彼らの歌声と小芝居を聴くという充実した時間を過ごしていた。
何曲もランダム再生されていった後、ついにある曲がオーディオから流れ出した。
平古場凛の“I☆FEEL☆FREE”。
THE沖縄という感じの陽気なイントロと、これまた陽気な平古場凛の歌声。陽射しの強い日に大きめの音で聴くと最高に気持ちのいい曲である。
私にとって平古場凛というのは比較的好きなキャラではあるが最推しというわけではないし、この曲が流れる前にも同じくらい好きなキャラやそれ以上のキャラの曲は流れていた。
なのに何故か、この曲を歌う平古場凛が無性に愛くるしくて、曲がサビに達する頃には私の中で愛おしさと愛くるしさがカンストしていた。
何なら今もこれを書きながら脳内で曲を再生しているだけで愛くるしさに悶えそうになる。ぎゃんかわいいいい、なにこれえ…愛しすぎて吐きそう…。
ちなみにミュの平古場凛は最高に可愛かった。ヤスカ最高に可愛かった。後に色々アレでアレしてたけど。あとよっちんの声も好き。愛おしいね。
そしてこの愛おしさを思い出した。私にとってテニプリは青春で、恋だったということを。
私はもう一度彼らに恋をしたい。帰ったらモアプリやろう。
そう決意して帰路を急ぐことになった。
帰宅は日付を越えてからになるかと思っていたが、存外早く着いたので早速DSを持ち出してモアプリを起動した。
平古場凛がきっかけであったにも関わらず、残念なことにドキサバ/ぎゅっサバを所持していなかったので今回は比嘉中は我慢せざるを得ない。
個人的にテニプリが凄いと思うところは、こういったキャラ攻略ゲームの時に興味のないキャラがいないことだ。
だから毎回ゲームを始める前にものすごく時間がかかる。元から優柔不断の癖に、同時攻略はできないタチで最初にしっかり決めておきたい私の性格のせいでもある。
しかしこの時ばかりは、今思えば驚くくらい早い決断を下していた。
やはりここは最推しでいくかそれとも、くらいは悩みはしたが、無意識に疲れ切っていた私が選んだのはサエさんだった。
まだ未攻略だったというのもあるが、普通にカッコよくて、普通に頼りになって、普通に幸せになれそうな、普通の優しさを求めた結果だろう。
サエさんルートの感想はまたの機会に語るとして、モアプリの設定、ストーリーは今の私には響きすぎた。
私が疲れていた原因というのも、そもそも私にはやらなければならないことも考えなければいけないことも多すぎた。
仕事もプライベートも予定が詰まりすぎて、何か忘れてしまった際には私だけが怒られるけど、遂行したとて褒められるわけではない。できて当然なのだ。社会人って、大人って、そういうものなのだろうけど。
さらには好きな人に好きになってもらう術もわからず、誰かに褒めて欲しくて、認めて欲しくて、好きな人に振り向いて欲しくてずっと走り続けていた私にとって、モアプリのストーリー全てが私が現実で望み続けたものだった。
実行委員として走り回り、ミスはお互いフォローしあい、成功を収めた際にはお互いの努力を認め合い、好きな人は私を見てくれている。そんな優しい世界がここに存在してしまった。
このゲームの主人公は仕事ができて頭も切れて顔も可愛くて、そりゃ誰だって好きになるだろう、なんて思える子だから、私なんかとは全然違う。賞賛を受けるのは当たり前ではあるのだけど。
それでも現実の私だってそれなりに努力してきた。最初から褒めて欲しかったわけじゃなくて、報われたかったわけじゃなくて、私は私の人生のために必死にやってきたけど、落ち着くことなく張り詰め続けた私の心は折れてしまった。
だからようやく、ここなんだ、と思ってしまった。
ここでなら私は、非現実であることを確かに受け入れながらも、私が求めていた温かさを受け取ることができる。
現実もまだ頑張って生きるから、この世知辛い世の中で、少しだけ安寧の地が欲しいだけ。
大好きだったテニプリから、2次元から離れて片手では足りないほどの年が経っていた。
けれど、一人で頑張ってきた私を、これからも一人で頑張るために、認めて、甘やかして、癒してくれる場所に、ようやく私はかえってくることができた気がする。
ここで休んで、明日からも頑張っていこうね。
私は再び心地良いこの沼に沈み込むことを決めた。